給与計算の系統
Y氏の場合は一見、計算したように見えるが、Y氏の「絶対にうまくいくと思っていました」という確信のもとは、自分もよく飲んでいたから、こういうチェーン店なら不景気の時代に流行るだろう、というだけだから、計算のうちには入らない。
やはりまず辞めたいという衝動ありきである。
T氏にいたっては、辞めてから何をやるかさえ決めずに、入社当初からの「男と生まれたからには一国一城の主になりたい」という夢を実現したいという気持ちに従っただけなのだ。
見る前に跳べという言葉があるが、転職には当てはまりそうだ。
これでは無責任の勧めと思われそうだが、そうではない。
見る前に跳んでも必ずそれなりの満足すべき着地点に達する、というのが私の体験でもあり、周囲の実例でもある。
だからこそためらうことはないといいたいのだ。
さて、経済のことはほとんど頭に浮かべずにG書房を飛び出した私が、食えるようになったきっかけはこうだった。
辞めた直後、私が編集者時代に付き合っていた著者.編集者たちが発起人になって、「励ます会」というのをやってくれた。
その集まりの中に、そのときが初対面となるK出版の社長がいた。
私と彼の共通の友人に誘われてきたのだという。
その社長が、「物書きをやるつもりだったら、ウチで何か単行本の書下ろしをやらないか」といってくれた。
新しい世界に一歩を踏み出し元気1杯だった私は、即座にいった。
「小説をやらせて下さい」「どんなテーマがやりたいのですか」「情報小説のジャンルで、大蔵省とか総合商社を舞台としたものをやりたいのです」「大蔵省で頼みますよ」こんなやりとりがあって、2人の間に小説の書下ろしの約束が取り交わされた。
単行本の書下ろしは、取材と執筆に相当の日数がかかり、その間、収入がない。
そこで私は、すぐにお金になる雑誌のルポルタージュの仕事を中心にしなくてはならず、なかなか本命の仕事にとり組めなかった。
資料集めや取材をするだけで、執筆には当分かかれそうもなかった。
何しろ82年11月30日にG書房を辞め、その翌83年の原稿料収入は合計290万円。
諸経費がこの中にふくまれるから、月に20万円にもならない生活費が得られたにすぎない。
これに退職金やわずかの蓄えをとり崩して生活をしていたわけだ。
だからせっせと日(月?)銭を稼げる雑誌をやらざるをえなかった。
そんなある日、待ちくたびれたK出版の社長が私を会社に呼んだ。
「書下ろしの進行具合は、どうですか?」「雑誌に追われて、なかなかとりかかれないのです」「1部分だけでも、見本の原稿を書いてくれませんか」そこで構想していたクライマックスシーンを20枚ほど書いて持っていったら、彼は売れそうだと思ってくれたようだ。
「印税を前払いするから、これに専念してくれませんか」こういって100万円の前払い金をくれたので、私は雑誌をやめて単行本に専念し、一気に書き上げて、84年1月に私の単行本の第1作『小説O蔵省』が出版された。
思ったよりたくさん売れて、経済的にはやっと一息つけたのである。
それから間もなく「小説O蔵省」を見た、ある株の専門新聞から声がかかり、その新聞紙上で、「小説O蔵省」と同じ手法で証券会社を舞台とした小説を連載することになった。
専門新聞とはいえ、原稿料もまあまあよかったし、10ヵ月の連載だったから、経済的にはかなり長いこと保証された。
こうしたプロセスを振り返れば、自分でもツキに恵まれていたと思う。
また友人たちからも「お前はついている」といわれた。
中には、「お前、学閥で仕事しているのだろう」と見当違いなことをいった仕事仲間もいたが、ここまでのプロセスに学校時代の友人は1人も登場してこない。
ツキに恵まれていたことを否定して、恩知らずになるつもりは毛頭ない。
K出版の社長にも株の専門新聞の人たちにも、いまでも感謝の気持ちをもっている。
ツキというのなら、私の周りの書き手の大半は、この程度のツキには何度も恵まれていることを私は見ている。
物書きに限らず、たぶん人はその人生で、「幸運」にも「不運」にも、何度となく出会うのであろう。
「幸運」をうまくつかまえ、「不運」とはなるべく早く縁を切る、処世の術というものだ。
それほど名人芸のような術を使わなくても、真正面からこの「幸運」「不運」と格闘するつもりがあれば、自然と「幸運」との付き合いがふえてくると私や周囲の知人たちの実例は教えている。
だからこそ会社を飛び出すときに、綿密に計算してもあまり意味がないのだと思う。
うまくいくか、いかないかは、あらかじめ計算できるものではなく、その後の「幸運」「不運」との取り組み方しだいなのだから。
Y氏の場合には計算していなかった「幸運」の要素がとても強く働いている。
たとえば資金の面ではこうである。
Y氏は転職を決意する直前に家を改築している。
だから近所の人は、そのあとすぐに彼が家を売ってマンションに移ったことを不思議に思っていた。
「家を改築したときは独立する気なんかなかったのです。
自由業や自営業の収入は不安定である。
ある1時期にまとめてどかっと入ることもあれば、2、3ヵ月の間、たまに少額の売上げや原稿料収入があるにすぎないこともある。
サラリーマンなら、毎月手取り40万円などと決まっていて、そのうち、たとえば彼の小遣い6万円を差し引いた34万円を家計費に定期的に入れるということができる。
われわれはこうはいかない。
私の場合、家に入れる家計費は妻と年俸契約をしている。
つまり毎月いくらと決まった家計費を渡すわけにいかないから、年間でいくら渡すということにしているのだ。
月単位の収入には凸凹があっても、年単位ならある程度平均化してくるだろう、という仮定に基づいている。
かりにそんな仮定が成り立たなくても、年単位の収入見通しがなくては、家計のやりくりはできないのだから、一応の基準は作らなくては仕方ない。
だが、実際は、その年の初めに「今年はン百万円を家計費としよう」と取り決めるとき、それだけの収入のメドが立っていないことがほとんどである。
メドが立つのは年間収入のほぼ半分だけで、残りはその年新たに始まる仕事と、突如、降って湧いたように生じる不労所得である。
「メドが立つのは年間収入のほぼ半分」とは、雑誌や新聞に継続中の連載と、その年に単行本化あるいは文庫化される予定の本の印税である。
「突如、降って湧いたように生じる不労所得」とは、既発表の作品が急にテレビや映画になったり、あるいは一度文庫に入っていたものをまた別の文庫が入れてくれたりするケースである。
「その年新たに始まる仕事」は必ず始まるとは限らない。
去年も何やかにあったから今年も何か始まるだろう、と想像しているだけだ。
始まらないときは、自分の方から出版社に企画を持ち込もうと思っているが、これまではいつも何か始まってくれた。
数年前のある年、他の仕事のほとんどすべてを打ち切って、ルポの単行本の書下ろしにだけ専念していたことがある。
そのときはその前年までにやっていた2、3の連載が単行本になり、以前出した単行本が文庫化されるという収入のメドをつけていたつもりだった。
取材期間も執筆期間も予定より長くなり、仕事の後半に来て、財政状況はめっきり心細くなった。
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